二人の時間と、雹李の企み
著者:月夜見幾望


(ああ、落ち着かない……)

場所は亜衣の家のリビング。この家には前から何回か来たことがあった。
カーテンも壁の色合いも全体的に白に統一されていて、部屋の隅にはちょっとしたかわいらしい小物が飾られている。
掃除も隅々まで行き届いていて落ち着いた雰囲気ではあるのだが、竜儀はひどく居心地が悪かった。

(ここに来ると、どうしても”あのとき”のこと思い出しちゃうんだよな……)

竜儀はそっと亜衣の様子を窺う。
亜衣はエプロン姿で、「ふんふん♪」と鼻歌まじりに昼食を作っている。雹李とは大きく違い、リビングにも美味しそうな匂いが漂ってくる。
これは以前亜衣から聞いた話だが、彼女は中学時代”家庭部”に所属していたとかで、いろんな料理やスイーツの作り方を先輩から学んだのだそうだ。
そうでなくても元から手先が器用な亜衣のこと、ちょっと練習すればほとんどなんでもこなせてしまうだろう。
そんな彼女を見ていると、自然と心拍数が上がっていく。

もともと竜儀はどちらかと言うと、女の子が苦手のほうだ。
極度に硬くなってしまう……というほどではないが、何を話していいのか分からないし、必要以上に緊張が表に出てしまう。
『坂崎って、女子の前と剣道のときでほんと性格変わるよな。お前実は二重人格者なんじゃないか? 自分の中にもう一人別の自分がいて、剣道のときだけ入れ替わっているとかさ』とは、親友の越智静谷(おち しずや)の感想だ。
もちろん竜儀はそんな中二設定なんか持ってないが、自分でもそんな風に時々思ってしまう。

(はあ……。ほんと俺チキンだよなあ……。明日学校に行ったら、クラスメイトの明(あきら)に女子と接する方法訊いとこう。明は有栖川(ありすがわ)さんとうまくいっているみたいだし、いいアドバイスが貰えるだろう)

「ねえ、竜儀。なにそんなに真剣に考えこんでるの?」
「は?」

突然の声に顔を上げると、目の前に亜衣の顔のドアップがあった。
もう少し近づけば、そのままキスができそうなくらいの距離に迫った亜衣の顔に一瞬にして思考が白くなる。

「あわわわわわわ!! あ、亜衣!! ちょ、ちょっと顔近いって!!!」
「? なにそんなに慌ててるの? カレーできたから一緒に食べようと思って声かけただけなのに」
「へ、そうだったの? それはありがとう……じゃなくって! もっと普通に声かけろよ! びっくりするだろ!」
「だって、キッチンから呼んでも竜儀聞こえてなかったようなんだもん。あんなに真剣な表情になっちゃって一体何考えてたのかな〜?」

亜衣が探るようにさらに顔を近づける。それだけで心臓麻痺が起こりそうだ。

「だから顔近いって!!! 別に亜衣のことなんか考えてな……い、いや、今のなし!! ほ、本当は師匠との試合のことを考えていて……」
「ふ〜ん、そっか。竜儀はあたしのことで頭がいっぱいになっていたと」

思考が完全にフリーズする。

「別にそんなに緊張しなくてもいいのに。この家は”竜儀の”家みたいなものでもあるんだからさ」
「わあ〜〜〜〜〜!! それ言わないでくれ!!!!」

“あのとき”のことがフラッシュバックして、ほかのことが考えられなくなる。そしてそれは容赦なく竜儀を打ちのめした。
口から魂が飛び出ている竜儀の前で、手を左右にひらひら振る亜衣。

「お〜い、竜儀生きてる〜? ちょっといじり過ぎちゃったかな。”あのとき”のことは、まあ、あたしも嬉しかったし……」

亜衣もほんのりと頬を染める。

そうしてその日の午後はゆっくりと過ぎていった。









夕方頃、竜儀がようやく自宅に戻ると雹李はすでに帰っていた。

「ずいぶん遅かったじゃないか竜儀。道場に行っただけじゃなかったのか?」
「ああ、道場には行ったよ。……ただその後、いろいろと面倒事に巻き込まれただけだ。それほど大したことじゃない」

言葉とは裏腹に、身も心も疲れ果てていた竜儀は、冷蔵庫から野菜ジュースを取り出して飲み始める。そんな弟を眺めながら雹李は無表情のまま、さらっと攻撃を加えた。

「ふ〜ん。私はてっきり篠原って子の家にお邪魔してたのだと思ってたんだが、気のせいだったか」
「ぶっ!!!」

姉の意外な台詞に、野菜ジュースを吹き出す竜儀。せき込みながらも雹李を睨みつける。

「ちょっと待て! なんで姉さんがそのこと知ってんだ!」
「なんだ図星だったのか。いや、私が知っているのは『お前と篠原亜衣って子が付き合っているかもしれない』ってことだけだが」
「だから! どっからそんな情報得てんだよ!」
「私のコネを甘く見てもらっては困る。竜儀も話くらいは聞いたことがあるだろう?『彩桜学園調査隊』───彩桜学園のあらゆる情報を集めている組織だが、そこの部長さんと親しい仲でね。彼女とはクラスメイトだしよく教室でいろんな話をしたりするんだが、つい先日だったかな、ふと『坂崎さんの弟に彼女ができたかも』って話題になったんだ。弟想いの私としては、なんとしてでもその恋を叶えてあげたいじゃないか! それで、もっと詳しい経緯を聞き出そうとしたんだが『それ以上教えたら面白くないでしょ』と軽くあしらわれてね。……で、実際どのへんまで進んでいるんだ?」
「教えねぇよ!!ってか俺たちまだ正式に付き合ってないから!!」
「そうか。つまらん」

あっさりと引き下がる雹李。だが、その瞳に宿る不気味な光を竜儀は見逃さなかった。

「とにかく、姉さんは一切手を出すなよ!」
「はいはい、分かった分かった。それじゃ、私は試合で疲れたから部屋で仮眠とってるな。夕飯できたら起こしてくれ」
「そんなこと言って、部屋で変な計画立てるつもりじゃないだろうな」
「♪」
「ちょっと待て!! なにを企んでいるんだ!!」
「寝るだけだと言っているだろう。じゃ、おやすみ〜」

そう言い残して雹李は、すたたたっと凄い速さで階段を駆け上がっていく。その様子を見て竜儀は確信した。



───近いうちに絶対騒動に巻き込まれるな、と。



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